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          メール・マガジン

      FNサービス 問題解決おたすけマン」

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    ★第061号       ’00−09−29★

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     日本語社員?

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●<英語社員>なるものが

コチラに存在したように、日本経済国際化の当初、アチラ側に<日本語社員>と

いうべき人々がいたのは当然です。  ところで(第59号で述べた通り)、

 

<英語社員>はある種の蔑称でしたが、アチラのその立場の人々においてはどう

であったのか、実は考えたことがありませんでした。  <日本語社員>相当の

アチラ語があれば、どこかでは見かけたはずですが、、 覚えが無い。  が、

 

多少は違っても人間は人間、類似の現象はアチラにもあったでしょう。  が、

<英語社員>のようにモノホシゲな<日本語社員>に会ったことは、少なくとも

私はありません。  良くない傾向の人もたしかにいたが、それなりに毅然たる

ものでした。  <良くなさ>にも、文化の違いが反映されるのでしょうね。

 

 

やはり一番手には、優れた人が選ばれていたようです。  たとえば第13号に

書いたデンマークの温度制御機器メーカーD社の日本代表R氏は、日本語力以上

に、技術的な理解力あるいは応用力を自在に発揮し、エンジニアのあるべき姿を

教えてくれました。  もちろんご本人、意識してはおられなかったでしょうが。

 

未だ自前ブランドのサーモスタット屋になる前、日本的顧客の日本的エンジニア

たちにイビラレ放題の下請加工稼業でしたから、R氏には感動し、奮い立った。

 

惚れ込んだ相手には良く思われたい。  彼の期待に応えようと努めたし、それ

が通じてか、色々な仕事をさせてもらうことが出来、たいへん勉強になりました。

素敵な Give and take.   しかし残念ながら、幸せは長続きしないもので、、

 

D社日本法人の操業が軌道に乗ると彼は役を免ぜられ、今度は日本人スタッフが

その椅子に座ります。  それがまた、何でこの人が? と首を傾げさせられる

典型的<英語社員>だったので、余計に彼我の差を痛感させられた次第。

 

思い返せばそれは、たまたま月曜日であったようで。 D社を訪れ、彼に会うや、

「良い週末でしたかな?」なんて気障に切り出され、土日も無かった私は返答に

詰まる。  と、重ねて、「これ、どうですか?」と来る。  見れば、水着の

若い女性が海を背に躍動している写真。  どう? と言われたって、、ねえ、、

 

いきなり仕事の話に入るのは野蛮、私は文明人、、という示威であったようだが、

張り合う意欲は当方に無い。 それに彼、製造的には全くチンプンカンプンの人。

こいつをここに据えるようじゃD社も、、 と見て、戦略的撤退を決意しました。

 

下請にも顧客を選ぶ自由はありますから。  その後<日本D>社の名が業界に

轟かずに終わったところを見ると、その決意、正解だったと言えるでしょう。

 

*   *

 

しかし、日本人はダメ、ガイジンなら良い、と言っているわけではありません。

ガイジンでもダメはダメ、の例を二つほど。

 

私のサーモスタットに使う材料で一番大切なのがバイメタル。 中学の教科書に

も出てくるくらい古典的な、加熱すると反り曲がる、あれです。 ただし私のは、

それを円く打ち抜き、高膨張材を内側に、レンズ型に成形して機能させます。

 

所定温度に達すると、このレンズ型円板がパチン! と反転し、スイッチを駆動

する仕掛けですから、バイメタルには高度なバネ性が要求されます。  それに

適した材料が未だ国産品には無かった時代でした。  そこで我々が選んだのは、

「鋼ならスエーデン、、」のK社製バイメタル。  ところが、

 

K社の材料は(今はABBの傘下に収まった)G商会が日本総代理店。 その

担当部長はガイジンさん。  彼の高圧的な姿勢は初めから面白くなかったが、

ほかにルートは無い。  やむなく付き合ううち、ある日、品質問題発生、、、

 

その解明には圧延工程の中間データが必要。 で、G商会に取り寄せを頼むと、

おお、ガイジン的! 「今は夏のホリデー、工場には誰もいない。 だいたい、

そんなもの、出すわけ無い」。  とりつく島なし。   しかしものは試し、

 

英作文してテレックスをK社に打ち込む。  と、、おや、返電が来ましたよ。

「了解。 すぐエアメイルします」。  数日後、郵便到着。  やったぜ!

<誰もいない>、<資料は出さない>、どちらも真実ではなかったようです。

 

K社はG商会にも報告を送りました。  面子を失った(のは身から出た錆、

だと思うが)ガイジン部長殿は烈火の怒り、「客の分際で、、好ましくない」

から「取り引き打ち切り!」と来やがった。  そこまで高圧的とはさすがに

意外でしたが、手玉に取られちゃビジネスにならない。  よし、見てろ!

 

後にE社を切った我が社も、ここではG商会に切られたり、シーソー・ゲーム

でしたな。  時には胃袋の辺が冷たくなったりもしましたが、別にひどい話

を持ちかけたわけではない。  日本男児、ナメた真似は許さなかっただけ。

 

*   *   *

 

サーモスタット屋を卒業した後、リクルートセンターの斡旋で<デンマーク産業

連盟>なるものの日本事務所で僅かの間、働いたことがありました。  代表者

L氏はもちろんデンマーク人。  アシスタントの男性、秘書の女性、各1名は

日本人。  そのアシスタントが突然辞め、急遽補充、、 がたまたま私の役に。

 

L氏は日本に永く、奥さんも日本人なのに、何故か日本語は片言レベル。 今回

のテーマ<日本語社員>としては、やや不足な人でした。 「日本大好き、、」

と口では言うが、電車やバスには絶対に乗らない。  オトナがマンガを読んで

いるのを見るのがイヤなんだそうで。  incredible !  stupid !   何故だ?

と何度も訊かれましたが、、  私も訊きたい、ハズカシイ、と思ってましたよ。

 

面接で英語力はOK、仕事とイヌが大好きというのも気に入った、と即日決定。

翌日から<調査>を任せられ、前任者がL氏と共に数年かけたが未だまとめかね

ていた、という難題3件の完成に励みました。  産業<探偵>、、 ですな。

 

やがて分かったのは、第一に前任英語社員?の無能、第二にL氏の屈折人間ぶり。

集められていたデータは全てジャンク、筋の捉え方もまるで見当違い。 改めて

歩き回り、資料やサンプルを持ち帰るとL氏、「どんな賄賂を掴ませた?」?!

喜ぶとか褒めるということは、絶えてありませんでしたな。  それどころか、

 

レポートをタイプしようとすると、「オレが使うから、、」で、貸してくれない。

自前の電動タイプを持ち込むと、「音がうるさい。考えごとに邪魔だ」とイカる。

 

なら、と秋葉原。  秘書嬢はNECのマシンだから、ワードスターを使わせて

もらうには、、 で、8001(! その時代の話、ということ)と周辺機器を

買い込んだが今度は、場所が無い、と置かせてくれない。 要するに、デスクに

へばり付くな、歩き回っておれ、の意。  やむなく夜や休日のホーム・ワーク。  

 

いざプリント・アウトしてL氏のご批判を仰ごうとすると、「何だ、これは?」

だけで読まない。  24ピン、ドット・プリンターがお嫌いらしい。  まず

内容についてOKを頂き、それをFD(当然未だ5インチ!)で渡せばオフィス

のプリンターで出力してもらえる、と思ったのに。  しかし、

 

読んでもらえなきゃ仕事は進められません。  とうとうデイジー・ホイール・

プリンター(というモノが当時はあったのです)まで奮発しちゃった。  でも、

肝心の仕事とは関係なく、「笑顔が足りない」とか「頭が高い」と言われ、結局

試用期間3カ月だけでチョンにされてしまいました。  思うに本当の理由は、

 

彼らが長らく持て余していたのを短期間に仕遂げた奴が面白くない、だろうな。

また日ごとに険悪化したのは、私の報告を聞き、レポートを読むにつれ、それ

までL氏が本国に送っていたレポートがデタラメであったことが分かって来て、

L氏、次第に<身の危険>を感じないではいられなくなったから、でしょうな。

 

つまり、アチラにもキャパの小さい人はいるわけで。  いくらサービスしても、

かえってトガメになるばかり。  ちなみにこのオフィス、その後間もなく閉鎖

され、L氏は本国召還となった由。  役に立たない男への賢明な処置、、、

 

しかしこんな程度のが、経団連で誰と会うとか、○○会館でパーティだと言って

は、地下鉄ひと駅の距離もタクシーを拾ってウロついていたのですから、我が国

がアチラの世界でどう評価されているか、全く知れたものではありません。

 

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●国際理解、など申しますが、

 

それに到達できるかどうかは、お互いの理解力、あるいは理解のしかた次第。

 

海外旅行の体験談も似たり。  「あそこは良かった」という感想は、男の

場合、そこの食べ物が旨かった、酒が旨かった、女性が美しかったなどから

生じるのであって、大したリクツは無い、という説があります。

 

多くは、<良い思い>が出来た出来なかったでの評価。  そんな主観的、

表面的、かつ運任せの判断は、<理解>ではなく、むしろ<誤解>に近い。

 

ビジネスの場合は、循環継続のどこかで、お互いに挽回のチャンスが持てる

かも知れませんが、取引関係をそこまで長続きさせられるか、それは別問題。

 

以下、私の<理解>を助けてくれた人の例。

 

 

第59号で書いたエクセレント・カンパニーE社にも<日本語社員>が二人

いました。  どちらも日系二世、どちらもキャパシティが大きかった。

 

日本代表<英語社員>Y氏の上司役O氏は、E社の本拠地セントルイスでは

写真スタジオを営み、E社に各種美術印刷物を納入してもいた人。  日本

進出に際し、やはり日本人風が良かろうというE社トップのアイデアで起用

されました。  商売人らしくニコヤカ。  しかし瞳の奥にシタタカさが、、、

 

雑談中<キリスト教>諸宗派の区別に及んだ時、彼は片腕を高く挙げ、天を

指して言いました。 「月を見るなら、ここへ来たまえ。 私の腕から指、

この方向で見上げるのが一番だ」。  それぞれがそう言い張っているだけ

のことなのさ。  どこから見たって月は月、なんだけどね、、 と。

 

折しも当方が、M&Aの進め方に難色を示していただけに、この話には教訓

の響きが感じられましたな。  お互い、ビジネスの成功を願う心に違いは

無いんだ。  どちらの腕に沿って見上げるべきか、で争わなくとも、、と。

 

どこに立ち、どう月を指すか、が<文化の違い>かも知れない、、 とも。

 

*   *

 

O氏に直属してY氏を補佐したI氏は、私には兄貴のような年格好。 背景

は明らかでなかったが文系の、実にシナヤカな人でした。  国際センスの

足りない私が力任せに投げる直球をヤンワリ受け止め、丁寧に返してくれる。

 

E社の鼻持ちならぬMBAたち(前号)への対応について意見を求めた時に

I氏、「こう出ればこう来るはず、と予測して外れなければ、それは文化が

同じだからなんですよね。  いつも外れ、予測もつかないという時、それ

を<文化の違い>と言う、、」  MBAの文化を私が知らなかっただけ。

 

O氏同様I氏も、ビジネス本位であっただけでなく、座談の名手でもあった。

その裏付けはユーモアと雑学知識、あるいは豊富な人生体験。 多文化社会

で培った<異質同化力>の一端を垣間見た思いでした。

 

***************

 

 

 

●異質なるが故の

 

相互理解の困難をどう克服するか、など考えたことも無く、憧れだけで飛び

出し、やたら駆けめぐっていた私は、思えば血液B型的ジコチュウでした。

 

均質的単一民族だった時代の日本人の一人として、<異質>など知らぬが仏。

しかし彼ら<日本語社員>のお陰で<文化の違い>を念頭におくようになり、

かなり速くマスターした、とは思います。  そう言っても、手探り自己流。

時には恥もかき、相手に迷惑もかけました。  カネも時間もかかった。

 

 

今は教材やメディアも豊富、効率を高めることが遙かに容易です。  ただ、

色々あれば有利、とは限らない。  玉石混淆、中には枝葉末節しか扱って

いないものも多い。  逆に、<具体的に>教えるものは滅多に無い、、、

 

きわめて本質的な部分を扱い、方法論として具体的なのは、、 相手の立場

や<異見>もヌケ・モレ無く網羅する Rational Process が一番でしょうな。

 

*   *

 

あの時あれを身に着けていたら、E社のMBAなんかメじゃなかったんだが、、

と今ごろ思い返したりします。  しかし、あなたの<異質同化力>強化の

ためには間に合いましたな。  その幸運を、どうかムダになさいませんよう、、、

             

                            ■竹島元一■

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